ダラけた小僧の音楽れびゅぅ

アルバムや歌詞の解釈を徒然と……

DIR EN GREYの「懐春」から見える女性像と太宰治 –女は誰を待ち続け誰を愛したのか– 歌詞解釈・分析・意味

 

人非人(にんぴにん)*1でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ

太宰治 『ヴィヨンの妻』

 

 

 

春」概要

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DIR EN GREYの「懐春」は、9枚目のアルバム『ARCHE』に収録されています。

比較的にメロディアスな曲が多いアルバムの『ARCHE』の中でも、異色な曲。

原曲はDie、作詩は京です。

結論から云うと、かなりど好みの曲です。

 

どこか歌謡曲を匂わせるような楽曲で*2、動くベースラインやキラキラしたアルペジオと、重いバッキングのリフが対比されています。

サビではShinyaのスネアがマーチのように演奏されて、ギターは細かい音がピロピロなってます。京はファルセットで歌っているので、ギターとなんとなく音域が被っていますね。

 全員が前に出てきていて、グシャっとしているなという印象。全てがミスマッチしてるというか。でも矛盾しているように聞こえますが、そのミスマッチさのなかに調和があるように感じます。〈バランスをとらない〉というバランスをとっていますね。

 

 正直、キャッチーかと言われたら首を傾げますし、DIR EN GREYっぽいかと問われたら肯定はできません。しかし、「和」の世界観は確立されていて、聞いていると近代の日本の風景が浮かんできます。戦後って感じ。

 

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こんな街並みに雨が降っている風景が浮かぶ

 

DIR EN GREY好きの中でも、評価が分かれると予想される曲ですが、ぼくは『ARCHE』の中でぶっちぎりで好きです。DIR EN GREYの全ての楽曲の中でも一番好きかもしれない。

 

何度も言いますが、決してキャッチーな曲ではないので、ハマれない人も多いと思います。スルメ曲。あと、2曲目っぽい。なんでこの位置に「壊春」があるのかよく分からない。

 

 

春」の歌詩に見える女性像 

 

—その夜は、雨が降っていました。夫は、あらわれませんでしたが 

太宰治 『ヴィヨンの妻』

 

さて、「壊春」の歌詞の解釈に移りましょう。「壊春」は、女性の儚さや脆さがテーマのようにみえます。しかし京は女性の「弱さ」を描ききることによって、女性の「強さ」を浮かび上がらせようとしたのではないでしょうか。

また、和の世界観も相まって、京の詩はどことなく太宰が描く女性像に通ずるものがあります。

 ぼくは太宰の有名な作品をチラホラと読んだだけの人間ですが、後期太宰の、諦観を描ききって光を浮かび上がらせるような文章が好きです。

 

DIR EN GREYの「壊春」も、女性の儚さや脆さを描くことで、逆説的に女性の強さを描こうとしたのではないかと解釈できます。

 

春」の歌詩分析・解釈・意味

 

観てはいけない 貴方の園は 誰かの季節へ
ただ怖い この先へ 畦道 帰りを待つ

 

もはや「私」は「貴方の園」ではない。「貴方の園」は「誰かの季節」(おそらく「春」、すなわち「私」よりももっと若い「色」を知ったばかりの他の女性)へと移っていく。

「貴方」は今日も帰って来ず、「私」はただ「畦道」から「貴方」が「誰かの季節」から帰ってくるのを待っている。待っていることしかできない。

「貴方の園」を「観てはいけない」から。「怖」くて「観て」いられないから。

 

流れた星に目もくれず手を合わせ
蛍が刻を照らす

 

このシーンにおいて「蛍」はきっと「私」でしょう。

「蛍」は儚い光を放つことから、詩(うた)において暗闇を際立たせる効果や、絶望の中の希望を醸し出す効果があります。

 

星が流れる夜、願いが叶う迷信に頼らず、しかし「貴方」が帰ることをひたすら祈る「私」。一体何に?「貴方」です。流星などに目もくれません。「私」にとって「貴方」がすべて。

しかし、「貴方」が帰ることはなく、無情に流れる「刻」を「蛍」が照らします。

流星のような荘厳で烈しい光でなくとも、「貴方」が帰るときに暗くても迷わぬよう、「蛍」のような儚い「私」がその帰り道を、手を合わせながら、祈りながら、小さいけど確かにここで、照らしているのです。

「星」と「蛍」の光の対比(「星」は「貴方の園」である別の女、「蛍」は「私」。「星」のように強い光は放てないけど、全身で光を放ち、「貴方」を待っている)も素晴らしいですし、「刻」が流れる早さを「流れた星」で表現しているあたりも文学的な美しさを感じさせます。

ぼくが「壊春」の歌詩の中でいちばん好きなフレーズです。

 

 

 眠る貴方だけの色に染まれれば
人知れず抱え込む苦しみから逃げ出しそうな私の夜

 

眠っている「貴方」だけの女になれたらよいのに。

密かに抱え込んでいる苦悩から逃げ出したくなる、「私」の孤独な夜。

 

冬、雨に抱かれ 憂いを浴びて 春に変われる日、誰を待ってるの?
冬、雨に抱かれ そんな日々を過ごす私はね 息をし…

冬、雨に抱かれ 憂いを浴びて 春に変われる日、誰を待ってるの?
冬、雨に抱かれ そんな日々を過ごす私がね 愛した…

 

雨の冬の夜、見ず知らずの若い男に抱かれて「春」を知った「私」。

そんな「私」は未だ帰らない「貴方」を待っているのか。それとも、こんな生活から掬い上げてくれる「神」を待っているのか。

 「貴方」が帰ってこないのは、「私」が「貴方」を愛しているから?いや、「貴方」が帰ってこない日々が重なれば重なるほど、「貴方」への「私」の想いも募っていくのです。

でも、本当は「私」が愛したのは「貴方」ではなく、「貴方」を待つ「日々」のほうだったのかも知れません。

 

私は格別うれしくもなく、

「人非人(にんぴにん)でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

と言いました。

太宰治 『ヴィヨンの妻』

 

 

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*1:人道に外れた行いをする者。ひとでなし。

*2:ARCHE 完全生産限定盤 付録冊子 『ARCHE TRACK COMMENTARY』