ダラけた小僧の音楽れびゅぅ

アルバムや歌詞の解釈を徒然と……

L'Arc〜en〜CielのSTAY AWAYは「皮肉」がテーマ 歌詞解釈・意味・分析

 

 

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「NEO UNIVERSE」の次に発売された20枚目のシングルで、作曲はtetsu(ya)。

 tetsu(ya)自身もボツになると思っていた*1ようで、個人的にはその理由がなんとなく分かる。

あんまり好きではないですね。

「finale」なんかは暗さの中にも聞きやすさとか、ポップさが感じられるので、tetsu(ya)っぽさも伝わります。

 

しかし「STAY AWAY」はあまりそれがない。

いやあるにはあるんだけど、キャッチーさと尖った感じが、悪い意味で混ざり合っていて、いまいちピンとこない。

 

yukihiroはこの頃から叩き方(主に手癖)を変えようと意識していたらしく、100回くらい叩き直したようですね *2

その意識改革はよく曲に表れていて、yukihiroっぽいフィルはあまりなく、決めるところは決めるだけのシンプルなフレーズを叩いていると思います。

 

hydeは歌詞について、

アメリカって自由な国っていうけど、何だかんだ法律いっぱい作って裁判とかしまくってるでしょ? 細かいことまで。

だからなんにも出来ない状態。アメリカ大陸を人と考えて歌ってるようなものですね。

(『B-PASS』、シンコー・ミュージック、2000年8月号)

 

 と語っています。

 

自由自由と叫びながらも、現実(「REAL」)は全然自由じゃない、「自由」という名の鎖に縛られている(「なにもかも壊し自由のもとに生まれた」=価値・鎖・しがらみ・ルールをぶっ壊したのにまだ自由に縛られている)ことを皮肉ってる曲ですね。

 

 

抜け出した大地で 手に入れたのは自由

レールの上に沿って どこまで行けるかな 

 

Maybe lucky, maybe lucky, I dare say I'm lucky 

 

 

しがらみやルール、生まれてから死ぬまであらかじめ決められていたようなレール、

 そういった自分を縛り付けていたものから抜け出して、手に入れたのが「自由」

 

焼き増しの世界には惹かれないから

君の未来はあっち さぁ 

 trying, trying in yourself

 

 

「焼き増しの世界」とは、レールから逸れなかった人、レールに沿って歩くことしかできなかった人の人生です。

 

そんな世界に魅力があるものか。

お前はお前の人生をせいぜい楽しんでな。じゃ。

 

という皮肉たっぷりのhydeの歌詞が突き刺さります。

実はこのセクション、「STAY AWAY」の歌詞の中で、

ものすごく重要なセクションなんですね。

 

この皮肉、実は「レール側の人間」から「外の人間」に向けられたものなのではないか、と解釈できるんです。

(自分が特別な人間だと思っている人間ほど、普遍的な存在はない、という皮肉)

 

レールから逸れなかった人間は、意図的にその人生を歩もうと決めていた人です。

つまり、レールを逸れることができたけど、あえてそうしなかった人ですね。

 

ここで坂口安吾の「日本文化私観」から引用したい一節があります。 

 

彎曲した短い足にズボンをはき、洋服をきて、チョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をすてて、安物の椅子テーブルにふんぞり返って気取っている。

それが欧米人の眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。

(中略)我々がそういう所にこだわりを持たず、もう少し高い所に目的を置いていたとしたら、笑う方が必ずしも利巧の筈はないではないか。

  

坂口安吾『日本文化私観』(1943)

 

この安吾の一節を「STAY AWAY」の歌詞に置き換えると、

「レールから外れた人間」が「レールに沿った人間」を嘲笑うのは、果たして「正しく嘲笑できているのか」という解釈につながります。

むしろ嘲笑っているのは「(意図的に)レールに沿った人間」の方ではないか、ということですね。

 

「STAY AWAY」は皮肉たっぷりの歌詞ですが、この視点で皮肉を書いていたとしたら、やはり日本の音楽シーンにおいて、これほど優れた作詞家はhydeの他に少ないでしょう。

 

続いてサビの歌詞です

 

causes stain stay away

causes stain stay away

 

「汚れるから、あっちに行ってくれ」という訳ですかね。

これはレール側か、外側か、どちら側の人間の発言か。

それはおそらく、お互いが、お互いの思想を受け入れられず、拒絶し合っているのでしょう。

 

浮かぶ雲のように だれも僕を掴めない

何もかもを壊し 自由のもとに生まれた

 

 

 一見すると、ルールやしがらみから解放され、自由になったように感じる歌詞ですが、hydeの皮肉はここでも止まりません。

 

何もかも、つまり、自由ですらぶち壊そうとした「レールの外の人間」ですが、結局「自由のもとに生まれ」てしまうんです。

 

ルールのない自由などは、言語構造の性質上あり得ないのです。だって、「自由からも解放された自由」ってなんのことだかわかりませんよね?

結局、自由を求めた「レールの外の人間」は自由というレールから抜け出せず、むしろ「レールに沿った人間」の方が、自由を知っていた、という皮肉ですね。


note.com

 

veganwally.hatenablog.com

 

*1:『WHAT's IN?』、p.36、2000年9月号

*2:『R&R NewsMaker』、p.28、2000年10月号